五百住の由来 ~ 地名の由来を調べています

main_top_over_navi
main_top

五百住の由来

大阪府高槻市に五百住(よすみ)という地名がある。如是川(「にょぜがわ」と読み、女瀬川とも表記する)中流の両岸に位置する町である。
五百住の地名は、南北朝時代以後に諸史料に登場する。
五百住の地名の由来を語る伝説は大きく分けて2つある。
1つは、安閑天皇が全国に屯倉(天皇の直轄地)を設置したとき、摂津国・河内国の国造である大河内直味張(おおしこうちのあたいあじはり)が天皇に良田を奉るのを惜しんだため、その罰として天皇は味張を罷免した上で、春秋各五百人の農民を差し出すことを命じた。その後、味張の差し出した五百人の民が住みついたため五百住の名がついたという説である。
もう1つは、平安時代の大貴族・源融が河原院を造営したとき、尼崎から塩水30石を運ぶためこの地に数百人の労働者の仮設宿を設け、その後これらが定住したことによる説である。


↑このページの先頭に戻る

Copyright © 2012 地名の由来を調べています All Rights Reserved.

FX用語