朝原内親王 ~ 地名の由来を調べています
朝原内親王(あさはらないしんのう、779年~817年)は、平安時代の伊勢斎宮。桓武天皇の皇女で、母は妃の酒人内親王(光仁天皇皇女で、桓武天皇の異母妹)。平城天皇の妃。
名は「あしたはら」とも読む。
延暦元年(782年)から同15年(796年)まで伊勢斎宮の任にあった。退下後、19歳で5歳年上の異母兄・安殿親王と結婚。大同元年(806年)安殿親王が平城天皇として即位するとそれに伴い妃となる。
夫との仲は冷え切ったものだったらしく、2人の間に子供はいなかった。平城天皇が譲位し、その後「薬子の変」を起こして出家に追い込まれたが、妃の朝原内親王は夫と行動をともにせず、弘仁3年(812年)5月に同じく平城上皇の妃だった大宅内親王とともに妃の身分を辞退した。
弘仁8年(817年)4月25日、病によって薨去。享年39歳だった。彼女の持っていた広大な領地は、遺言によって東大寺に寄進された。